『Necrobarista』はテキストに対する偏愛に満ちた良作だった。しかしながらそれは必ずしも「良いノベルゲームだ」というわけではない

 

 

 

 『Necrobarista』というテキストアドベンチャーゲームについて

 

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オーストラリアの首都メルボルン。1851年のゴールドラッシュ以降シドニーを抜いてオーストラリア最大の都市となったこの地には当時を思わせるモダンな建築物と現代の象徴的な建築物である高層ビルが同居している。このような過去と未来が入り混じるカオスな場には不思議なことが起こったりするものだ。そういった体験をしたいなら……そう、例えばそこの裏路地を真っ直ぐ進んだ突き当りにあるコーヒーショップ「ターミナル」を訪ねてみるといいかもしれない。そこでは「マディ」という愛想の悪い女性が仏頂面で貴方に注文を訪ねるかもしれない。もし10歳くらいの少女が何かを追いかけて走り回っているとすればそれは「アシュリー」に他ならない。因みに追いかけているのは彼女の自作したロボットだろう。

上記のような理由によりネットレビューにおける「ターミナル」の評価は好ましいものではない。けれどこの店には単なるコーヒーショップとは別にもう一つの顔がある。「あの世」と「この世」の狭間に位置するこの店には死者が「あの世」に行くまでの24時間を過ごす場所でもあるのだ。

「ターミナル」には時折死者が訪れては去っていく。 出会いと別れの場だ。そして人の一生において出会いと別れには特筆すべき物語が付き物だ。

本作『Necrobarista』の物語もまた、一人の死者「キシャン」がこのメルボルンのコーヒーショップに訪れるところから始まる。

 

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小気味よく繰り広げられる会話とテキストの自由度

 

『Necrobarista』は三人称視点のテキストアドベンチャーゲームだ。プレイヤーは登場人物の誰かになることもなければ、選択肢を選ぶこともなく、故にエンディングに分岐も存在しない。人が産まれ、死ぬまでにifのストーリーが存在しないとの同じことだ。

だから本作を『VA11-hall-A』や『coffeetalk』のようなバリスタバーテンダー)シミュ+ADVのような形式を期待して購入すると肩透かしを喰らう羽目になるかもしれない。けれど『VA11-hall-A』の本質的な面白さがBAR「ヴァルハラ」の店内に飛び交う魅力的なキャラクター同士の掛け合いにあったのと同様に、コーヒーショップ「ターミナル」もまた小気味良く繰り広げられる会話の応酬に満ち溢れている。

 

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本作のもう一つの魅力としてテキストの自由度の高さが挙げられる。

『Necrobarista』はれっきとしたテキストアドベンチャーだが、オーソドックスなテキストアドベンチャーにありがちなテキストボックスは一切存在しない。

キャラクターが叫べば文字は画面中央に大きく表示されるし、逆に呟くように口から洩れた音はキャラクターの口元に酷く小さい形で表示される。

こういったテキストの大きさや配置によって文章表現の幅を広げようとしたのは当たり前の話だが『Necrobarista』が初めてではない。むしろその起源は紙媒体の小説にまで遡ることが出来る。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド/村上春樹』や『虎よ!虎よ/アルフレッド・ベスター』といった作品は文章表現以外の手法で読者に衝撃を与えようとした小説として真っ先に思い浮かべることが出来る。

これ以上無い!というくらい自由な発想で読者を小説の世界への引き込んだ名作SF『虎よ!虎よ』  

 

しかしながら、小説という自由の効きづらそうな紙媒体でそのような試みが行われてきたにも関わらず、電子ゲームという自由度の高そうな媒体におけるテキストアドベンチャーがテキストボックスという壁を長年取り払うことが出来なかったというのはなんとも不思議な話のように思える

 

 

 

 

 全ての”テキストアドベンチャー”はいわば”ムービーアドベンチャー”になってしまった

 

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画像は『Doki Doki Literature Club!』 より

 

しかし、それにはいくつかの理由があるように思う。まず第一にテキストアドベンチャーの全盛期には現在のように3Dモデルの技術は発達しておらず、一枚絵を使用したゲームデザインにならざるを得なかったこと。

そして高品質な3Dモデルを手にした途端に全ての”テキストアドベンチャー”はいわば”ムービーアドベンチャー”になってしまったことだ


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画像は『Life is Strange』より

 

その全てを悪いことだと言うつもりはないが、少なくともテキストに対する敬重の念が薄れてしまったことに余念はないだろう。

そういった意味では本作はテキストに対する恵愛に満ちた作品であるといえる。

 その根拠の一つが特定の単語に「ウィットに富んだ注釈」がつけられている点だ。

 

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これらの注釈にゲームシステム的な意味は殆どない。あるのはテキストに対する愛だけだ。

けれども、本作が『Necrobarista』として完成するためにはこの注釈はなくてはならないものだ。それは実際にこのゲームをプレイして貰えば分かって貰えるように思う。

 

 

 

 

本作の低評価部分について

 

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これまで述べてきたように本作は溢れんばかりの魅力に満ちている。

しかし、残念ながら本作は全てにおいて満点をつけれるようなゲームではない。

以下、自分が思う『Necrobarista』の低評価部分について述べておく

 

・全てのシーンがクリックしなければ進まない

文章のあるシーンのみならず、場面転換による暗転や会話のないシーンなども全てクリックしなければ次のシーンに進まないためテンポや見栄えが悪い

かといって文章がないシーンだなと思ってクリックすると遅れて文章が現れたりする

これ自体は演出としての間だと思うので良いと思うが、オートスキップの機能をつけるか少なくとも前者の文章のないシーンに関してはオートスキップされるようにしないと、開発者の想定したテンポで物語を進めることが出来ないように思う

 

 

・全体としてメインストーリーのボリュームが少なめ

ストーリーの長さ自体はともかくとして、世界観やキャラクターの掘り下げが薄く、風呂敷の広げ方に比べて、畳み方が非常に乱雑である

追加の無料DLCでのストーリー追加もあるとのことだが、メインのストーリーは完結している以上、もう少し掘り下げても良かったのでは?という気がしてしまう

 

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おわりに

 

このゲームの低評価部分について触れたが、僕はこのゲームを非常に評価している

ただし、上記の2点(特に前者)の理由で万人に薦めることは出来ない。けれどあなたがもし、テキストに対して愛着を持っていたり、ノベルゲームを好んでプレイするならば、本作をプレイして損をすることはないだろう。

最後になるが、本作のようなテキストに対する偏愛に満ちた良作をローンチから公式による日本語翻訳でプレイ出来たことに感謝の意を示したい

TGS2019で本作を試遊して以来楽しみにしていた中、発売が遅れる等のトラブルもあったが、無事遊ぶことが出来、非常に満足している

 

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