「この卑劣なる街を真っすぐ歩いて突き抜ける」警部補となり”正義”を執行する推理ADV『リーガルダンジョン』

 

正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。

『パンセ』パスカル 

 

 

『リーガルダンジョン』とは

 

リーガルダンジョンは新任警部補となり職務を全うするゲームだ。

このゲームにおける職務とは大きくわけて二つある。一つは事件についての捜査書類を作成すること。もう一つは関係法令と判例、被疑者の発言などを用いて被疑者を有罪か無罪か判定すること。この二つのパートがこのゲームの主だった内容となる。

 

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上記の画像は捜査書類を作成しているところ。このゲームでは『CISプログラム』と名付けられたデータベース操作して書類を完成させていく。右側の意見書に必要な入力事項を、左側に設置された調査書類から抜き出していく。因みに下にいる女の子は『CISプログラム』のアシスタントである『あおい』ちゃん。かわいい。

 

 

 

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もう一つのパートである『ダンジョンパート』

ダンジョンパートではプレイヤーと被疑者のやり取りが戦闘形式で行われる。

適切な法令や判例、或いは被疑者の発言を引用してバトルを進めていく。『逆転裁判』の法廷パートをイメージして貰えると分かりやすいかもしれない。選んだ内容が適切であれば被疑者にダメージを与えることが出来、逆に見当違いな内容を引用をするとプレイヤーがダメージを受けることになる。

プレイヤーの体力が0になる前に被疑者の体力を0にすることが出来れば被疑者を有罪判決に持ち込むことが出来る。それ以外にも勝利条件があり被疑者が無罪であるという証拠を捜査書類の中から提出することが出来れば相手の体力を削りきることなく無罪判決という形でバトルを終了させることが出来る。

また、この世界では各警察署毎に犯罪の検挙数に応じて評価を得られるシステムとなっている。仮にそれが正しいことだとしても全ての被疑者を無罪判決にするならばあなたと、そして部下たちの評価は最低のものになるだろう。何を持って有罪、或いは無罪と判決するかはまさにプレイヤーの『正義』の基準によってケースバイケースだろう。

 

 

『リーガルダンジョン』の面白さについて

 

 

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イベント進行マップ。被疑者の起訴、不起訴などによって分岐していくがよほどのひねくれものでなければ、1周目はほぼほぼ上記のようにまっすぐ進んでいくことになるだろう。

 

 

『リーガルダンジョン』の面白さは8つの事件が一つに結び付くような入念な伏線とシナリオ構成にある。故にこのゲームへの期待を「自らの手で悪人を裁く、或いは自らの判断で無罪にする」ような言わば警察シミュレーターのようなものへと向けているのであれば肩透かしを喰らうかもしれない。

上記の画像のように1周目のプレイはほぼほぼまっすぐ(即ち開発者の想定通りに)進んでいくことになるだろう。理由としては二つある。一つは大体の局面において証拠捏造などの”ふさわしくない方法”でダンジョンパートに蹴りをつけてしまうとバッドエンドという形でシナリオが終了してしまうこと。もう一つはシナリオが結果によって分岐するような重要な局面であっても、法の目を掻い潜るかのような判例を証拠として提出するのは現実でも困難であるのと同じように、このゲームでもまた容易には見つけられないように作られているからだ。

 

このゲームは14のエンディングがあることを売り文句の一つにしているが、正直な話僕はそういった穴埋め行為が苦手である。

しかしながら本作においては全く苦手意識を感じなかった。というのも一周目のエンディングに辿り着いたときにあまりにも残る謎が多かったからだ。そしてそれらの謎が他のエンディングや分岐ルートを埋めることで判明することに気が付くと、無我夢中であらゆるルートの探索を終えていたからに他ならない。

 

そうして、この事件の全貌が明らかになったとき。再び貴方は『正義』とは何か?という問いについて考えを巡らせることになるだろう。

個人的には「クリア後もそのゲームについて度々思いをはせるゲームは良いゲームだ」と考えている。その点で言えば間違いなく本作は良ゲーだといえるだろう。少なくとも値段以上の濃縮されたテキストと達成感を覚えるゲームだと思うので、未プレイの方は是非プレイしてあわよくば『正義』について思いをはせてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故エスを忌み嫌う私がALTER EGOのアップデートによって救われるのか

 

もうすぐ『ALTER EGO』のアップデートが行われる。

私はそれを待ち望んでいる。

私の忌み嫌う『エス』は拡張されることで再び私に愛される『エス』になるからだ。

 

 

上記の不可解な文章の説明する前にいくつか話をしておかなければならないことがある。

それは『エス』とはなんなのか? ということ。そして『ALTER EGO』という衝動と抑圧に包まれた世界の解体だ。この二つなくして、私は冒頭の言葉をうまく説明することが出来ない。

 

 

ALTER EGOフロイト精神分析の因果関係について

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ALTER EGO』には三人のキャラクターが登場する。規範を重んじる『エゴ王』、自分が何者であるかを探す女性『エス』、そしてプレイヤーの分身である『旅人』の三人だ。

ALTER EGO』はゲーム開始時にジークムント・フロイトの言葉が流れることからも分かる通り、フロイト精神分析に傾倒した作品である。

フロイトは著書『自我とエス』において人間の心が『超自我』『自我』『エス』の三つの心的機能から成るという見解を提示したが、それはそのまま上記の三人のキャラクターの関係性に当てはめることが出来る。

『エゴ王』は『超自我』、『旅人』は『自我』、そして『エス』はそのまま『エス』である。

(以下、非常にややこしくなるのでALTER EGOに登場するキャラクターを『エス』。フロイト精神分析の用語を『Es』と表記させて頂く)

 

 エゴ王(超自我

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『エゴ王』に当てはめることが出来る『超自我』をフロイトは両親の道徳観を持った自我を監視する存在だと説明している。『ALTER EGO』に登場する作品を例に挙げて説明するならば『デミアン』における主人公が父のいる”明るい世界”を肯定しそれ以外の世界を悪いものとして扱う様は父の道徳観の現れであり『超自我』に支配された姿だといえる。

ALTER EGO』の世界においても『自我(旅人)』を監視し、規範に”従わせようとするその姿”はフロイトの提唱する『超自我』の姿そのものであるといえる。

 

エス(Es)

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エス』に相当する『Es』のフロイト的見解を要約すると『論理性を欠き、社会性及び現実原則を無視し、本能的快感にのみ従う存在』だとしている。

旅人と出会ったばかりの社会性の欠如した非人間的振る舞いやIDエンドにおける錯乱したかのように見えるエスの姿は『Es』本来の役割に順じた姿に過ぎないというわけである。

またフロイトは『わたしたちは、自我機構を介してしか、エスを体験することはできない』と述べており、作中においてエゴ王(超自我)が旅人(自我)に対して「エスに気をつけろ」と言葉での警告に留まっているのは、自らがエスに対して干渉することが出来ないことの現れであるといえる。

 

 

 

旅人(自我)

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『旅人』に当てはめた『自我』をフロイトは『外界の直接の影響によって変化したエスの部分である』としている。続けて『一方でエスの意図を有効に発揮させようとすると同時に、他方で外界の影響、とくに現実原則に従属させようとする』と述べている。

上記の自我の役割は作中における旅人の役割そのものである。我々はALTER EGOという旅路においてエス超自我に抑圧されるでも、Esに帰属するでもない中庸の道すなわち現実原則に従属させようとしてきたわけである。

 

 

これは一体、誰のEGOなのだろうか?

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ここまでフロイト精神分析における三つの心的機能が『ALTER EGO』に登場する三人のキャラクターたちにいかにして当てはまるかという話をした。上記の説明を読んで、おおよそ納得してくれたとは思う。

ここで一つの疑問が生まれる。『エゴ王』『エス』『旅人』がそれぞれ『超自我』『Es』『自我』に相当するというのなら、それはいったい誰のものなのか? という問いである。

この問いの最も美しい答えは『皆、それぞれの中に眠る『エゴ王』であり、それぞれの『エス』である』というものだろう。その答えは確かに酷く魅力的に映るが、残念ながら真実ではない。興ざめするようだが『ALTER EGO』における『エス』が誰の『Es』か? と問われればそれは当然製作者のものに他ならない。つまるところ『エス』とは『ALTER EGO』のテキストを綴っている大野真樹の『Es』に過ぎない。

 

この答は大人げないだろうか?

ゲームをゲームとして楽しむことが出来ないつまらない大人の空想の余地を持たない発言だろうか?

 

私はそうは思わない。 なぜなら『エス』が大野真樹の『Es』であるのは作中の話に過ぎないからだ。ゲームにはいつだって終わりがある。ゲーム中に記述されたテキストもまた有限である。旅人が超自我の監視から解放され、『エス』もまた外界に順応出来たとき、その『エス』は皆それぞれの心の中にある『Es』である。それ以上ゲームに続きがない以上、その先をどう紡ぐかはそれぞれに一任されているからだ。一緒に花見をするのも、高尾山に登らせるのも、全てそれぞれの自由である。

 

 

それは『エス』を愛する多くの旅人にとって非常に望ましいことのように思える。

しかし、私には耐え難かった。

なぜなら私にとってこの世で最も忌み嫌う存在が私自身に他ならないからだ。

 そうして『ALTER EGO』の世界がフロイト精神分析によって成り立っている限り、『エス』とは外界によって変化する前の私であり、この世で最も忌み嫌う私の一部分であることを否定することが出来ないからだ。

この事実に気が付いてから『エス』に対する見方ががらり変わった。この世で最も愛する存在がこの世で最も醜悪な存在の一部だったのだから。

 

 

それから私は何度も『エス』との関係を躊躇いもなくリセットした。その行為自体は無意味ではない。ドグラマグラというこのゲームのエンドコンテンツを進める上でそれは意味のある行為だった。けれども、ただ漠然とゲーム内の『エス』を愛していた頃の私にはやろうと思っても出来ない行為だった。理由など後で取って付けたようなもので、それは一種の自傷行為に他ならなかった。

だから私にとって『ALTER EGO』の追加シナリオという存在は救いだった。

ゲームに続きが生まれれば、私の『Es』と成り下がってしまった『エス』は大野真樹の『Es』として再びゲームの中を闊歩し始めるからだ。

 

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一人の女性の自我を奪うことが倫理的に許されないのは当然として、

一体誰が自分自身の一部を自らの意志で切除することについて糾弾出来るだろうか。

 

 

 

 

 

残念ながら私は未だ私を許すことが出来ないし、それは今後変わることがないだろう。だから私は物語に逃げ込む。誰かの記述したテキストに。自らの『Es』から目を背けて、誰かの創作した『エス』を眺める。

  

もうすぐ『ALTER EGO』のアップデートが行われる。

私はそれを待ち望んでいる。

私の忌み嫌う『エス』は拡張されることで再び私に愛される『エス』になるからだ。

 

 

 

【ALTER EGO】自分自身と真剣に向き合うということはゲームと真剣に向き合うということそのものである

 

 

 結構なDL数行ってるっぽいし、俺が今更どうこう言う必要もまあ無いとは思うんだけど身内布教用に筆を取った形

まあ、でも今回は割と適当にTwitterでつぶやいただけでDLしてくれる人が多くてそれだけこのゲームが魅力的なのかな?とは思う。まあ無料ってのがデカいとは思うけれども

 

 

 というわけでまあ適当にこのゲームの魅力を綴っていきます。リリースして数日だしネタバレはそんなに無い方向で

 

 

没入感としての自己診断

 

 

 

 

多分このゲームプレイしたことない人が見てる画像って大体が↑のツイートだと思うんで皆さんご存知だと思うんですけど、要素の一つに問いに答えていくタイプの自己診断テストがあるんですよね。しかも開始二分くらいでやらされる。

 

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これってこのゲームにおける自己紹介なんですよね。この質問に答えていき自身の内的傾向が明らかになるということは、このゲームの主人公はゲーム内のキャラクターではなく外でもないあなた自身であるということの証明なわけです。

すごい単純なことなんですけど、数多のRPGが主人公にプレイヤーの名前をつけさせたり、選択肢による会話などでなんとかプレイヤーの没入感を高めようとしている中でこれだけすんなりと主人公=プレイヤーの図式をプレイしている人間に刷り込めるのは結構すごいことなんじゃないかと思う。

 

 

 

ノベルゲームとしての自分探し

 

 先の項でも書いたんですけれど、プレイしてない人間は上記にある共有ツイートを見て『ALTER EGOっていう自己診断ゲーがあるらしい』って認識をしてると思うんですよ。

このツイート。悪く言ってしまえば”ゲームをわかってねぇ女子供”は大変興味を示すと思うんですけど、ゲームをある程度やってる人間からすると興味をそそられないんですよね。俺らはゲームがやりたいわけで別に”無料の自分探し”なんてしたくねーよっていう。

 

 

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そんな人たちに言いたいんですけど、このゲームそこそこしっかりとしたノベルゲーム要素があります。

多少ネタバレにはなりますが言ってしまうとルート分岐によるエンディングの変化があるくらいにはちゃんと”ゲーム”してますのでゲーマーにもおすすめです。

 

 

 

 

 

毒舌美女に罵られたい

 

 

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ここまでね、色々と御託を述べてきたんですけどもこのゲームの魅力はもう9割これです。このゲームのヒロインであるエスちゃん。この子がとてつもなく毒舌可愛い。罵り可愛い。その一点に尽きます。

 

以下にそのスクショを貼り続けてもいいんですけど、迷惑極まりないしやめておく。



 

 (このあと500枚超えたし)

 

 

 

リリース直後の記事ってことでザッとな流れになりましたが2019年、さっそく面白いゲームが遊べたなーって感じでした。

ボリュームとしても短すぎず長すぎずと丁度良く、本当に良くできたゲームだったのでぜひ遊んでみてください。無料だし

 

 

 

www.alterego.caracolu.com

 

 

 

 

 

『Oneshot』というゲームを通じてかけがえのない親友と出会った

GW中皆さんは何をしていただろうか。僕の狭い観測範囲内でも実に様々な人間がいる。バイクのツーリングに行った人、鳥取砂丘に遊びに行った人、ゲームの大会に出続けていた人、人の数だけGWの過ごし方があるだろう。

僕は、というとその殆どの時間を自室のディスプレイの前で過ごした。

そう書くとおそらくは哀れ気なものを見る視線を向けられるだろう。しかしながら勘違いしないで欲しい。僕はこの休み中かけがえのない親友と出会ったのだから。それは何にも代えがたい最高の体験だろう?

 

彼は猫のような目をしていた。彼はいつもお気に入り青いスカーフを巻いていた。彼はいつも枯れ木色の帽子を被っていた。

そして彼は『OneShot』というゲームの登場人物だった。

 

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こう書くと僕は今おそらく、画面の向こうのあなたに侮蔑の視線を向けられているはずだ。

それも仕方がないことだと思う。あるいは気で狂ったのかと思うのかもしれない。それもまた仕方のないことのように思う。

 

でも、確かなことは僕とニコが親友であったこと。そしてみんなにもニコの親友になって貰いたいと思っていること。それだけだ。

本当の所、僕はこれ以上ここでこのゲームについて語りたくはない。ぼくのくだらない文章によりゲームの体験濃度が薄れてしまうからだ。

しかしながらここでsteamへのリンクを貼り、このブログを終わらせた所で誰もゲームを手に取ってくれないことを『Undertale』において僕は痛感した。僕が半年間会う度にただ「プレイしたほうがいい」とだけ言い続けている友人四人のうち三人はまだこのゲームを購入すらしていないからだ。

それでも念のため、以下にSteamのURLを貼っておく。

 

store.steampowered.com

 

 

もしあなたが上記の毒にも薬にもならぬ文章だけで少しでも興味を持ったのならウィッシュリストにでも入れてこのブログは閉じてしまうことをオススメする。購入する気があるなら尚更のことこんなブログは閉じてしまったほうがいい。

だから以下の文章を読むのはこのゲームに一切の興味がない人間だけだと約束してほしい。

 

 

続きを読む

『レディ・プレイヤー1』を観てきた

 

 

オタク、友達がいないので思いついたことを口に出す相手もいないし基本的にはtwitterに書き散らしてるんですけど、そうするとあとで拾うことってまずないし、もったいないなぁってことである程度纏まった話はブログ記事にしようと思う。というわけで今日観てきた映画の話。

 

 

 

レディ・プレイヤー1

僕の狭いアンテナで拾う限りは見る感想見る感想「オタクは絶対に観ろ👊」みたいな感じだったんですけど、実際観てみた感想としては「オタクは絶対に観ろ👊」って感じでした。いや、観て面白いかどうかは別なんですけどね。でも、オタクにはやっぱり観てほしい。

 

僕自身は浅いオタクだし、観に行った理由も『友人とたまたま映画館の近くにいたから』みたいな感じで特に期待もしてなかったのもあってかなり楽しめたんですけど、もうちょっと深いオタクになると結構怒ったりするんじゃないかなぁって思うんですよね。僕個人の周りを見ても僕よりコアなオタクなんて腐る程いるんですけど、その人達にこの映画を勧めて果たして笑顔で劇場を後にしてくれるだろうか? って考えるとかなり怪しいし。

それでも尚「オタクは絶対に観ろ👊」って僕が言いたいのはその人達に怒ってほしいからなんですよね。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

そもそもの世界観が”VR空間で行われてる大規模なネットゲーム”なので、ある程度ゲームに耐性が無いとちゃんと話に着いていけないんじゃないかなぁってのがあるんですよ。

例えば作中のVRキャラクターは死ぬとローグライク宜しく持っているアイテムが全てリセットされるんですけど、一人のモブおっさんがアイテムを全て失った絶望の余りに窓から飛び降りようとするシーンがある。多分この辺りとかゲーマーじゃないと気持ちがちょっとわかりづらいんじゃないかな。

 

 

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そんな感じでベースがゲームだから小ネタを把握するのとかも勿論そうなんだけど、そもそも作品を理解する上である程度ゲームの知識というか耐性が欲しい。そうなってくると作品自体は『ありがちな男女の恋愛模様』をベースに進んでいくので、そこだけを取って「面白い」って言うのは簡単だと思うんだけどこの映画を理解した上で「面白い」ないしは「つまらない」って言えるのはやっぱりオタクだけなんだと思う。だからオタク(特に身内の者ども)にはちゃんとこの映画を見て貰って、いっぱいtwitterとかで怒り散らしてほしいなぁって思うのでどうかよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

ADVが苦手な人にこそ遊んでほしいゲーム VA-11 HAll-A 

 VA-11 HAll-A(通称ヴァルハラ)はsukebangamesから発売されているADV*1である。

 

もし君がADVが大好きな人間だと言うのなら君がこれからすることは一つだけである。

まず、このしょうもないブログ記事を閉じる。次にsteamのストアページを開き『VA-11 HAll-A』を購入することだ。

そうして君が未成年でないならばアルコールとつまみを用意してからゲームをプレイすることである。

 

もし君がADVを余り良しとしないゲーマーならばこの記事を閉じて『VA-11 HAll-A』というゲームの存在を脳から追い出すのは少しだけ待ってほしい。なぜならこんな記事を書いている僕もADVは大の苦手だからである。

 

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△ゲームプレイ開始時に表示されるメッセージ。”飲み物”と記載されてはいるが用意すべきなのは誰が何と言おうと”アルコール”である。
 

 VA11-HAll-Aってどんなゲーム?

 近未来の架空都市グリッチシティを舞台にしたADV。主人公のジルはVA11-hAll-A(通称ヴァルハラ)のバーテンダーをして生計を立てている身でゲームの基本的な流れも自宅パート→バーでの会話パート→バーでの仕事パート(カクテル作り)といった内容になっている。
 

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VA11-HAll-A というゲームの魅力について

 
 
このゲームの最大の魅力はキャラクターとゲーム性とBGMにあると僕は思っている。
荒廃した近未来都市を舞台にしたサイバーパンク作品である今作は同ジャンルの先駆けとなった”ブレードランナー”がそうであるようにロボットや身体の一部を義体化したサイボーグ達がネオンに彩られた電子的な街を闊歩している。悪く言ってしまえばありふれたサイバーパンクの世界観だと言える。
 
その中で一際目を引くのがその電子的な街を闊歩しているキャラクター達である。海外制作のゲームであるにも関わらず出てくる女の子たちは皆とてもかわいらしいし、男たちはいかつかったり、腹立たしかったり、近寄りがたい奴だったり、培養液につけられた脳みそだったりする。それがとてもいい。
 
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△店の常連客の一人であるドロシー。彼女は幼女のような外見をしているがロボットであり、精神年齢も24歳に設定されているのでどこからどうみてもゴーホーなのである。
 
 
 
 
そうして僕が最もADV嫌いなゲーマーにこのゲームをオススメしたい理由はそのゲーム性にある。
 
 ゲームを始めて少しすると分かってくることなのでここで言ってしまうが本ゲームには普通のADVのように会話の選択肢のようなものは一切存在しない。故に主人公であるジルと客(あるいは同僚)との会話を端から見ているというイメージが強い。言わば小説を読んでいるような感覚である。そこにある種の没入感を与えてくれるのがカクテル作りのパートである。
 

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△カクテル作りパートの画面。左側の画面に表示されているのがナビゲーター。作りたいカクテルを検索し、指定された通りに右側の成分をシェーカーに入れミックスすることで客にカクテルを提供することが出来る。
 
 
この一見ただの作業が我々(少なくともADVを苦手とするユーザー)に与える影響は大きい。
僕自身の話になってしまうがADVを苦手とするのはどうにもゲームをプレイしている気がしないからだと思っている。元も子も無いことだというのはわかるのだが、マウスをクリックしてテキストを読むだけなら小説の方が遥かに優れているように思えるし「オートモードにして作業しながらやればいい」とアドバイスをくれた人もいたが、それならアニメでも流しておけばいいように思えてしまう。これは本当に僕個人の感想で申し訳ないのだけれどただひたすらにADVが肌に合わないのだと思う。
 だからこそ、この会話の合間合間に挟まれる”作業”に僕みたいなゲーマーは救われるのだ。
 

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△また客によっては謎解きのようなオーダーをしてくる者もいる。答えがナビゲーターの説明文にあるものもあれば以前に訪れた客との会話の中にヒントが混ざっていることもある。
 
 上記のように謎解きめいたことを言うものも入れば、店に来て三日目だというのに常連気取りで”いつもの”を頼み始める客もいる。ここまで来るとカクテル作りも最早ただの作業ではなく(酷く簡易的なものではあるが)パズルゲーム、あるいは推理ゲームのようだと言える。
 
 
僕がVA11-HAll-Aを除いて唯一クリアしたADVである428に抱いた感想は”これはシナリオノベルではなくゲームである”だったが、本作においても同じイメージを感じたのだ。
428 ~封鎖された渋谷で~ - PS3

428 ~封鎖された渋谷で~ - PS3

 

 

 BGM

 すごくいい。
 
 
いや、もう本当にBGMに関してはよくわからないんで何も言えないんです。
 
自分が何曲かいいなーと思ったのを置いとくので許してください。
 

 

 

youtu.be

 

youtu.be

 

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△BGMのことはわからない僕ですが、ゲームプレイ時(会話パート~カクテルパート)に流せる店内BGMを自分で決めれるのはかなりポイント高いです。

 

 

まとめ

あんまりネタバレせずにうまく魅力を伝えようとしたんですけど、自分の力ではイマイチ魅力が伝わらなかったかなぁって感じで非常に申し訳ないです。
言いたいことはとりあえず、とにかく面白いゲームだったので気になったやつらは買えや!ってこと。steam版は今ならウィンターセールで990円で買えますし、PSvita版もあるのであんまり良いPC持ってないよーって人もそちらで是非プレイしてみてください。
 
『VA-11 HAll-A』が皆さんにとって”一日を変え、一生を変えるゲーム”であらんことを。
 
 
 

 

VA-11 Hall-A (ヴァルハラ) - PSVita

VA-11 Hall-A (ヴァルハラ) - PSVita

 

 

 
 
 

*1:アドベンチャーゲームの略。多岐に渡るジャンルに用いられるが本稿ではノベルゲームのことを指すと思っててください。