ハッピーエンドを探さないで

 

 

※本記事は『ラジアータストーリーズ』及び『ライフイズストレンジ』に関する重要なネタバレを含みます。悪名高い前者はともかく上記の作品をプレイする予定の方は本記事を読まないことをオススメします。

 

 

 僕はゲームが好きなのでたくさんプレイしているのだけれども、多分同じくらいの時間ゲームについてあれこれ考えている。これはオタクの性分だと思うので仕方がないとは思う。

腐るほどあるゲームの中、ときおり思い出しては取りだして考えに耽るゲームがいくつかある。『ラジアータストーリーズ』はその中の一つだった。過去形なのはこのゲームが心に残した解れのようなものを完全に解消することが出来たからだ。

人間は忘れる生き物だし、折角なので解決に至った思考の道筋をここに書き記しておこうと思う。

長年僕を悩ませた『ラジアータストーリーズ』とそれを解く鍵となった『ライフイズストレンジ』というゲームについて

 

 

 

 

ラジアータストーリーズという『二人がここにいる不思議』

 

 

 

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結末にいくつかの派生があるゲームにおいて『ハッピーエンド』あるいは『トゥルーエンド』が用意されていることは昨今のゲームにおいては当たり前だと思っている。

実際の所、殆どのゲームには物語の核心に迫るルートが存在しているし、ユーザーもそれを前提にプレイしている節がある。だからこそ蓋を開けてみればそんなものは存在しない――マップの隅から隅を探し回っても何のフラグも立たない――と知ったとき、ユーザーは絶望するのだ。

ラジアータストーリーズ』が良くできた箱庭ゲーであったにも関わらずKOY2005の次点に選ばれてしまった要因は即死しやすいバトルシステムや面倒なタイムスケジュールシステムなどもあるだろうが、これが根本的な原因だろう。人は期待を裏切られたと知ったとき、罵詈雑言を吐くものである。可愛さ余って憎さ百倍という訳だ。

 

 

ラジアータストーリーズというゲームを知らない人に向けて簡単に説明する。人間と妖精(ゴブリン、エルフ、ドワーフなど)が危ういバランスで共存している世界が舞台となる。中盤以降とある出来事によりバランスが崩壊し二つの陣営が戦争になる。それに主人公とヒロインが巻き込まれていくというのが大まかなあらすじである。

本作には二つのエンドがある。グッドエンドやバッドエンドといった括りではなく対立するどちらの陣営に付くかによってその結末が変わる。要するに”人間側”か”妖精側”かということである。

 

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△二つのルートへの分岐方法はシンプルで妖精陣営に付こうとするヒロインを追いかけるかどうかの選択肢一つである。

 

 

 

 

 本作のエンドを簡単に説明するならば人間編は「世界は救われたがヒロインが死に、その傷心を癒すため主人公が旅に出る」一方妖精編は「ヒロインは救われたが人類は滅び、誰もいない街で二人が手を取り合う」と僕は解釈している。

 

この二つのエンドはどちらもハッピーエンドとは言えず、完全なバッドエンドとは言い切れないものの苦い後味の残る結末であることは間違いない。実際、リアルタイムでプレイしてた僕も人間編をプレイし「妖精編ならば救われるのでは?」と妖精編をプレイするも救われず、隠しボスまで倒した上で何もないことを知り絶望した。そうしてリメイク版の発売と共に第3のルートが出ることを期待したのは僕だけではないと思う。

しかしながら、不評なのもあってかその後このゲームのリメイクについて情報が上がることはなく、その後十年間、僕の魂は放射状を描いてさまよい続けることとなった。すなわち、ライフイズストレンジと出会うまでは。

 

 ライフイズストレンジという『永遠の夢』

 

 

 

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ライフイズストレンジについても未プレイの人のために説明をすると(出来ればこんな記事は閉じて今すぐゲームをプレイしてほしいけれど)時間を巻き戻せるようになった主人公の女子高生マックスが自分の身近に起きている事件を能力を用いて解決するという話である。

このゲームにおいてもエンディングが二つ用意されている。グッドエンドやバッドエンドといった括りではなく、友人(クロエ)を犠牲にするか、あるいは自分の生まれ育った町を犠牲にするかという二択になっている。

 

 

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△本作におけるエンディングの分岐の仕方もラジアータストーリーズと同じくシンプルだ。ゲーム内に様々な分岐点が用意されているがエンディングに直接かかわるのは画像の選択肢のどちらをプレイヤーが選ぶかのみである。

 

 

 

  

 初めて僕がこのゲームをクリアしたとき、必ずトゥルーエンドがあるだと確信し、そうして一日マップの隅から隅まで、章の最初から最後までフラグを立てようと躍起になってプレイした。しかしながら何の痕跡も見当たらず、観念してネットで調べてみると何もないということが分かった。絶望した僕は「なんで救われるエンドがないんだ?」と罵詈雑言を吐きそうになった。実際、多かれ少なかれこの作品に対する批判的コメントをいくつかしたように思う。そのくらい僕はこのゲームをプレイする上で愛着がわいていたし、二人に幸せになったほしかったのだ。

しかしながら、時間が経つにつれてそれが僕のエゴに過ぎないということが見えてきた。

 

 

順序が逆になってしまったがライフイズストレンジという物語についての話をしたいと思う。この物語は主人公マックスが数年ぶりに邂逅した友人クロエの銃殺されるシーンに居合わせてしまった所から始まる。

 

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前述した通りマックスには時を戻す能力が芽生えるため、クロエが殺される前まで時間を戻し彼女の命を救う。

 

 

 

数年ぶりに再開したクロエは髪も青く染め、腕には刺青を入れ、煙草も吸う手の付けられない非行少女になってしまっている。

 

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 しかしながら一緒にすごしていく間にマックスはクロエの根の部分は変わっていないことに気付く。彼女はマックスのいない間に実の父親を亡くし、母親の再婚相手の養父とはうまくいかず、親友のレイチェルは半年前に行方不明と彼女を取り巻く環境は散々だった。だから非行に走っていいというわけではないが、一人のティーンエンジャーがぐれる理由としては十分すぎるくらいだった。

 

 

マックスは親友のクロエに自分の能力を打ち明け、クロエはそれを利用して親友のレイチェルを探す手伝いをしてほしいと考え、マックスはそれを了承する。

その過程でクロエは変わっていく。マックスに何度も命を救われて、レイチェルがなぜいなくなったのかを知って、養父や母の気持ちを知って。

結果だけを話すのであればそれは上手くいく。レイチェルはすでに死んでおり、マックスの能力を用いて現実を”正しく捻じ曲げて”犯人を逮捕する。それで全てが丸く収まったかのように思えたがそうはいかず、マックスの住んでいる町に避けようのない台風が襲い掛かる。

マックスは本能的にそれを自分が能力によって現実を捻じ曲げたからだと理解する。そのことをクロエに話すと彼女は言う。

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この言動は依然の――マックスと再会する以前のクロエからしたらあり得ないことだ。髪染め、墨を入れ、煙草をふかし、養父に悪態ついていた彼女からは考えられないことだ。

 

端的に言ってしまえばこの物語とはクロエの成長譚に他ならない。主人公のマックスのスタンスは一貫して最初から最後まで変わらない。自分が常に正しいと思うことを行うだけだ。彼女は別にこの物語を通じて成長はしていない。何故なら、少し奥手なだけで彼女は初めから強い人間だったからだ。

 

だから、もしこの作品に原因の根本を解決するような都合の良いハッピーエンドがあったとすれば、それはクロエの成長を、この物語そのものを否定することに他ならない。

それは果たして物語としてのハッピーエンドなんだろうか?

 このことはラジアータストーリーズにおいても同じことが言える。人間と妖精が手を取り合う都合の良いハッピーエンドは果たして人間編における主人公ジャックの成長や、妖精編におけるリドリーの成長に勝るだろうか?

正直なところそれは分からない。けれども、第3のハッピーエンドを用意することでその二つのエンドが無価値になることだけは容易に想像出来る。

そう結論づけたところでラジアータへの思考の解れはなくなった。結局の所、僕にとってのラジアータへの疑問は「何故第3エンドがないのか?」ということについてだったからだ。